荒磯 水戸黄門作詞 瀧廉太郎作曲|大洗歴史漫歩(大久保 景明)

 大洗ゴルフ場の下の大洗海岸は、奇岩怪石が点在し、風光頗る明媚で、所謂「波の花散る大洗」として天下に知られている。

 大洗海岸の初日の出は有名で、元朝には年々数万の人々がおとずれる。又ここは月の名所でもある。古来多くの詩歌に詠まれている。

 徳川光圀(水戸黄門)の詠まれた歌に


荒磯の岩にくだけて 散る月を
 一つになして 返える浪かな


がある。この歌「磯月」と題して「常山詠草」の「巻一」におさめられている傑作で、大洗地方では古くから人口に膾炙している歌である。

 ところでこの歌にかの有名な瀧廉太郎が作曲していた事が、18年ばかり前にわかった。

 瀧廉太郎はご承知のように明治の中期に彗星の如くあらわれ、「荒城の月」や「箱根八里」「お正月」や「はとぽっぽ」等数多くの傑作を生み、明治の日本音楽界に大きな影響をあたえて、24才で夭折した楽聖である。

 この歌は明治35年に作曲されたものである。ただ歌詞の中で義公が「散る月を」と詠んだところを「月影を」となっている。


荒磯の岩にくだけし 月影を
 一つになして 返える浪かな


この歌の彼の自筆楽譜にはいずれも作歌者の名前が記されていない。彼は几帳面な性格であったから、必ず作歌者がわかっていれば記入したに違いないと云う。

 よみ人は不詳であったが、月影を宿したその波が岩にくだけ散るさま、月影を一つにまとめて波の引くさま、白い月と黒い岩、剛と柔、静と動、この美しいロマンチックな情景が、天才楽人の琴線にふれたものであろうか。歌詞の「散る月」が「月影」となったのは、これは巷間伝承の中に変化したものと思われる。

 先年NHKテレビで、この事を大きく取り上げて、この荒磯の歌を大洗の中学生のコーラスで紹介し好評を博した。

 九州大の小長久子先生の著「楽聖瀧廉太郎の新資料」によれば(「荒磯」は芸術的に高い作品で、シューベルトの作品を思わせるものがあり、彼の作品中、傑出しているものの一つである。彼のドイツ留学の成果を十分にうかがえる作品といえよう。「荒城の月」「花」とともに今後大いに歌われてよい作品であると思う。)ということである。大衆的ではないかも知れないがもっと唄われてよい歌ではないか。

 たぐいまれなる名君水戸光圀と、天才作曲家瀧廉太郎が元禄時代と明治時代と、永い年月を超越して、大洗の月で結ばれたと云う事は、まことに愉快である。

 義公を欽仰してやまない吾等にとって、この歌が読者諸賢の手により世に大いに喧伝され、多くの人達に唄われるようになる事を念願するや切である。


1984春 地図⑧


追記

先年、中川光恵女史が「荒磯」の曲を編曲され、歌をレコーディングされました。


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出典|大洗歴史漫歩、2002(平成14)年5月18日発行

著者・発行者|大久保 景明

印刷・製本|凸版印刷株式会社


登録者|田山 久子(ONCA)