磯節発祥の碑|大洗歴史漫歩(大久保 景明)
大洗ゴルフ場入口に近いバス停「大洗海岸」の下に白御影石の碑が太平洋に面して建っている。この辺は文字通りの白砂青松、奇岩怪石に白くくだける波、昔ながらの風韻をとどめている。この碑が磯節発祥の碑である。
磯で名所は大洗さまよ 松が見えますほのぼのと
磯節の原唄の一つで、最も有名な詞が刻ざれている。字はいまは亡き詩人西條八十氏の書である。
昭和39年、前町長の加藤 清氏の時に建てたもので、建てる時に誰に書いてもらおうと言う事が問題になったが、結局は戦時中下館に疎開していたゆかりもあり、国内知名の詩人でもあった西條氏に書いていただく事になった。
西條氏は「自分は元来自分の作詞したものでなければ書かない主義だが、しかし磯節は日本のもつ民謡中で最もすぐれたものの一つであり、自分が茨城県に疎開中、ある町から磯節の歌詞を作ってくれと頼まれたが、自分の到底及ぶ処ではないと断った。そういう事もあるので喜んで書こう」と快諾して書いてくれたものである。
そもそも磯節は、この大洗磯の浜の漁師達に古い時代から唄い継がれてきた俗謡である。明治の初め祝い町に渡辺竹楽房という趣味の深い人が有り、土地の芸者や船主の協力を得て三味線にのせて以来、磯節は急速に世に知られるようになった。三浜地方から水戸に、水戸で踊りの振りが付けられ更に全国的に唄われるようになり、天下の三大民謡の一つと言われるようになった。
晩年の渡辺竹楽房
碑に書かれた「磯で名所は大洗さまよ、松が見えますほのぼのと」の歌詞は原唄の一つであり、今でも最も唄われているものである。
「大洗さま」とはゴルフ場の前方にある大洗磯前神社のことである。大己貫命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)の二伸を祀っている。856年の創建で、現社殿は徳川光圀並びに網條の造営である。地元民の信仰は頗る厚い。
漁師町であった当地は、昔から漁の時の目標にするため松を大切にしたが、江戸時代からのいい伝えでは「まがり松」(地名としてのこる)「相性松」(ゴルフ場内)「ほのぼの松」(琴引滝附近)「おお松」(字吹上)「這松」(西福寺)「しだ松」(五郎兵衛稲荷)「好山亭松」(所在不明、潜竜天に昇るの形に似たり)等あったが明治時代迄に全部枯れ、昭和になってからでは大洗の幣掛松や、太郎松、ごく最近ではゴルフ場近くの義公遺愛の松が枯れてしまった。
戦前漁師達は漁をする時、後方の山の崖と前方の松の大木とを合せその位置をはかり、その下にある魚礁を知る。漁師はこのことを山を立てると言う。
漁師は朝暗いうちに沖に出て、山を立て(現今は漁探になったが)漁をする。朝日夕日に映えるそなれ松、この唄には漁民の願いと祈りがこもっている。
他国に類似の歌があるが勿論、磯節の方が古いと思っている。
「新潟恋しや白山様の、松が見えますほのぼのと」(越後甚句) 「夜明け恋しやかんどが浜で、松が見えますほのぼのと」(石見国蹈鞴唄) 「西城から見りや八幡の馬場に、松が見えますほのぼのと」(広島県小唄集) 「和田見恋しや伊勢宮さまの、松が見えますほのぼのと」島根地方安来節) 「高田恋しや恵比寿美様よ、松が見えますほのぼのと」(福島県高田甚句)。 「水戸で名所は千波の川よ、蓮のめごめに鴨が住む」(山家鳥虫歌)
民謡という言葉はあまり古い言葉ではないが、本当の民謡とは、作者がなく多くの人々の手によって作られ、永い年月を経て唄い込まれてきた、土地が生んだ自然の声なのであろう。
数多くの磯節の歌詞中原唄とされているもの数句をあげてみよう。
三十五反の帆を巻き揚げて ゆくよ仙台石巻
山で赤いはつつじに椿 咲いてからまる藤の花
沖の暗いのに苫とれ苫を 苫は濡れ苫苫とれぬ船はチャンコロでも炭薪積まぬ 積んだ荷物は米と酒
原山並木がなぜこわかろう ほれりゃ三途の川も越す
なお、現在原唄同様に唄われている「水戸をはなれて東へ三里、浪のはな散る大洗」は、明治28年に日本鉄道会社が初めて観梅列車を運転した際に、河合政善(花の門)がものした唄である。
関根安中 大正15年
出典|大洗歴史漫歩、2002(平成14)年5月18日発行
著者・発行者|大久保 景明
印刷・製本|凸版印刷株式会社
登録者|田山 久子(ONCA)
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